【かっこいい】剣道でよく見る9つの言葉の意味を紹介
みなさんは手拭いや部旗に書かれている言葉の意味をご存じですか??
試合会場に行くと、各道場独自の手拭いや部旗を見かけることが多いですよね。
そこには、剣道に関係する言葉や熟語が掲げられています。
字面はカッコいいけど、その言葉の意味をよく知らない方も多いのではないのでしょうか。
今回は、「剣道でよく見る言葉の意味」を紹介したいと思います。
私、ショーダンも今回改めて、「剣道でよく見る言葉の意味」を勉強し直してみようと思います。
剣道でよく見る言葉の意味
- 剣心一如
- 無念無想
- 明鏡止水
- 不撓不屈
- 交剣知愛
- 風林火山
- 獅子奮迅
- 守破離
- 克己心
言葉の意味と私の考えを併せて書いてみました!
※紹介している意味はweblio辞書で表示されたものを記載しています。
いろんな辞書を見比べて、真意を自分の理解に落とし込むことをおすすめします。
剣道でよく見る言葉の意味
剣心一如
【意味】
剣は人なり、剣は心なりといわれるように剣は心によって動くものであり、剣と心は一元的のものである。
したがって正しい剣の修行をすれば正しい心を磨く結果になる。
【私の考え】
人柄は剣風に表れるということですね。
良い剣道をする人は色んな人から好かれやすいと思います。
一方で自分の好みでない剣道をする人もいるとは思います。
ですが、嫌いな剣道は「合わない、目指す剣道ではない」だけで、忌み嫌ってるわけでないと考えています。
嫌いな剣道でもそういう人から学ぶこともあるので、稽古はします。
言い方悪いかもしれないけど、上手く利用するってことでしょうかね。
勝ち負けにこだわらずどんな人でも受け入れる剣道ができれば、日常でも色んな人、多様性を受け入れることができます。
少し視点を変えると、「剣は自分の分身」ということも表していると思います。
竹刀を跨いではいけないと言われるのも、ここからきています。
昔、刀に名前を付けていたのも同じ考えからですね。
無念無想
【意味】
一切の想念を離れること。無我の境地に入り、無心になること。
【私の考え】
下の「明鏡止水」で合わせて記載しています。
明鏡止水
【意味】
邪念ややましさがなく、落ち着き払っているという意味のこと。語源は、「明鏡」と「止水」の二つの言葉が組み合わさってできた四字熟語であり、中国古典「荘子」の「徳充符篇」に由来した言葉である。
明鏡止水の「明鏡」は、よく磨かれた鏡には汚れも垢も付かないが、汚れていれば塵や垢が付いて曇ってしまい、物事がはっきりと見えなくなってしまう、という意味の文章からきている。
「止水」は、人は流水を鏡として使わず、止まった水を鏡にする。不動の心を得た者だけが、心の安らぎを求める人にそれを与えることができる、という意味の文章からきている。
類語:「虚心坦懐」、「晴雲秋月」 対義語:「疑心暗鬼」、「意馬心猿」
【私の考え】
「無念無想明鏡止水」と1セットで言葉になってることが多いと思います。竹刀袋でもよく見かけます。
邪念を無くし、心を動かさないということですね。
「余計なことを考えない、心を動かされないぞ」という考えも持ってはいけないということです。
非常に難しいですね。
「明鏡止水」も、類語の「晴雲秋月」も綺麗な言葉ですよね!
不撓不屈
【意味】
強い精神で困難や逆境に立ち向かいくじけないという意味のこと。英語ではindefatigableが近い。defeat(負かす、くじく)することが難しい様子を表す。
「不撓不屈の精神」という使い方をすることが多い。
不撓不屈の四字熟語の語源は「漢書」の叙伝第七十下にある、王商という優れた人物を評した一節からとされる。
「撓」という字は訓読みは「撓む」と書いて「たわむ」。
「不撓」はたゆまないこと、「不屈」は屈しないことである。
類語:「七転八起」「堅忍不抜」 対義語:「優柔不断」「遅疑逡巡」「唯唯諾諾」
【私の考え】
「撓」という言葉は竹(竹刀)がしなることにも関係していて、剣道と非常に相性の良い言葉だと思います。
粘り強く奮起する姿勢ということですね。
大きな力が加わっても耐えることができれば、その後自分で大きな力を発揮することができると考えます。
交剣知愛
【意味】
「剣を交えて”おしむ”を知る」を読まれ、剣道を通じて互いに理解しあい人間的な向上をはかることを教えたことばである。愛はおしむ(惜別)、大切にして手離さないということを意味しており、あの人とはもう一度稽古や試合をしてみたいという気持ちになること、また、そうした気分になれるように稽古や試合をしなさいという教えを説いたことば。
【私の考え】
非常に良い言葉ですね!
剣道は一度稽古をしただけで、お酒を酌み交わしたような感覚になります。
コミニュケーションを取るためには相手を受け入れる姿勢が必要です。
なので、「剣心一如」と非常に密接な関係があると考えます。
風林火山
【意味】
風林火山は「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」を略したもので、それぞれ、「疾きこと風のごとし」、「しずかなること林のごとし」、「侵掠すること火のごとし」、「動かざること山のごとし」 と読み下されることが多い。風林火山は、今日では「武田信玄の旗印」として知られ、また「理想的に行動するための心構え」として理解される語。
「いざ動くときは風のように素早く動き」「動かないときは林のように静けさを保ち」「攻め入るときは火のように激しく攻め」「守るにあたっては山のようにどっしりと構える」べし、という趣旨と解釈される。 「風林火山」は孫子が説いた兵法に基づく語である。
【私の考え】
字面のカッコよさに目を惹かれますね。
風・林・火・山それぞれで意味があるということです。
「無念夢想」「明鏡止水」と一緒に実現できれば、本物の強さを手に入れられると考えます。
獅子奮迅
【意味】
(百獣の王である獅子が、たけりはやるという意から) 物事に対処するのに、その勢いのはなはだ激しいこと、または迅速勇猛に行動することのたとえ。
【私の考え】
似た言葉に「猪突猛進」があります。
猪突猛進よりも獅子奮迅の方が、相手を圧倒しているイメージがあります。
守破離
【意味】
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
仏教では習・絶・真ともいい、あらゆる道の修行における順序段階を教えている。
以下は詳細
「守」
教えを守り私意をさしはさむことなく、ひたすら基本を身につける段階である。書道の楷書にあたるもので、一点一画をゆるがせにしない心配りが大切である。「破(は)」
守の殻を破り躍進する時代である。いままでの教えを基礎とし、中核として、自己の知能や個性を発揮して次第に自己の剣道を創造する時代で書道の行書にあたる領域である。「離(り)」
孔子の七十にして矩(のり)を超えずの境地であり、あらゆる修行の結果我が思いのままに行動して、いささかも規矩にはずれることなく、一つの形や流儀流派にとらわれることもなく、自由闊達に自己の剣風を発揮できる時代である。
【私の考え】
守→破→離というようにフェーズが変わっていくわけですが、一方方向ではないと考えます。
悩んだり壁にぶつかることがあれば、1つ前に戻って過去の教えを見直すことも時には必要だと思います。
克己心
【意味】
克己心とは、自分の欲望や邪念を制し、甘えることなく、目標を目指して邁進しようとする、そういう強い心持ちを意味する表現。克己の精神。克つは「かつ」と読みます。「勝つ」と「克つ」の違いは以下で示します。
「勝つ」は、「相手を負かす」「相手をしのぐ」という意味で使われます。「順当に勝つ」「気合で勝つ」という使い方をします。
「克つ」は、「欲望などを抑える」「困難をきりぬける」という意味で使われます。「誘惑に克つ」「難病に克つ」という使い方をします。
【私の考え】
類語としては「ストイック」、「禁欲的」という言葉が当てはまると考えます。
「克つ」の場合は対象が「自分」です。
相手に惑わされるのは、自分の弱さからと考えることができます。
克つを実践できれば、絶えず成長し続けることができると考えます。
まとめ
今回は剣道でよく見る言葉の意味を紹介しました。
- 剣心一如
- 無念無想
- 明鏡止水
- 不撓不屈
- 交剣知愛
- 風林火山
- 獅子奮迅
- 守破離
- 克己心
手拭いや部旗に書いている言葉の意味を改めて見直すことで、自分が所属している道場の方針を確認できます。
また意外と、掲げている言葉の意味を大切にして稽古をしていることに気づきます。
心にもその言葉を掲げて、稽古に取り組みましょう!
以上、ケンドーショーダンでした。